皆さんこんにちは。私は、大阪府出身で羽衣学園中学校・高等学校、天理大学を卒業し、昨年の中旬までコカ・コーラレッドスパークスでプレーしていました新井麻月です。
私は、今シーズンからドイツのハンブルクにあるハルヴェステフーデTHC(Harvestehuder Tnnis and Hockey Club)に新規加入し、先週末から20018/19のブンデスリーガが開幕しました。実は、ドイツに移る前の約7ヶ月間は、オーストラリアのメルボルンにあるキャンバーウェルHCでプレーしました。それ以外にもビクトリア州代表の練習への参加や、ご縁がありU-15女子ビクトリア州代表のマネージャーとして、シドニーで行われたオーストラリアの州対抗の大会へ同行するという素晴らしい経験を多く積むことができました。
今回はまず、なぜ私が海外でのプレーを強く望んで実現できたかという経緯をお話しさせていただきます。
持病のヘルニアと目標のオリンピック
私は、持病であるヘルニアに長年苦しみました。
一番初めに発病したのが、高校2年の時で、当時はひどくはなかったので手術はせず、約半年のリハビリで復帰しました。その後も、たまに症状は出たものの、自らの目標である日本代表になり、オリンピックに出場するという目標めがけてひたすら、「意地」と「気力」で突き進んできました。それが実り、日本代表へは大学入学と同時期ごろから選ばれるようになりました。
2008年の北京オリンピックの頃からオリンピックに臨む歴代のベテラン選手を含む、多くの選手を間近で見て肌で感じ、自分自身も練習を積みながらオリンピックという舞台でのプレーを目標にして、活動してきました。大学生の頃には、スキルアップの為に海外でのプレーも想い描いていました。しかし、大学チームや代表でのプレーを重視し、実現することはありませんでした。
大学を卒業後、当時のコカ・コーラウエスト株式会社(現、コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社)に入社し、社会人2年目でチームの副キャプテンになりました。2年後にキャプテンに就任し、約3年半チームのキャプテンとして活動しました。チームの結果と内容をチームと共に、自分自身の中でも強く求め、まっしぐらに試行錯誤を繰り返しながら進んできました。社会人になってから、日に日に海外への想いが強くなりましたが、チーム状況を含め、現実的ではありませんでした。オリンピックでのプレーを目標にして、まっしぐらに進んできたことが、良くも悪くも身体に負担をかけ、ヘルニアが再発しました。再発当初は、まだそれほど患部はひどくはなかったので、「意地」でプレーは続けました。
オリンピックは、一度もメンバー入りは果たせていません
プレーやコンディションの質は上がったり下がったり、日本代表へも入ったり落ちたりを繰り返し、ワールドカップやその他の世界大会でもプレーはしてきましたが、オリンピックには一度もメンバー入りは果たせていません。
2012年のロンドンオリンピックは、当時の強化本部長のありがたいお図らいで、チームと行動は別でしたが、全試合のスコアリングをするという仕事内容で現地入りすることができました。悔しさもありましたが、違った部分での多くの経験をさせていただき、大きく先へのバネになりました。
2016年のリオデジャネイロオリンピックは、過程の段階では代表入りはしていましたが、後半はコンディションも上がらず、維持するので精一杯で、途中からメンバー入りも果たせませんでした。オリンピックの約1年半前に最終的にヘルニアが悲鳴をあげ、先を重視して手術するという結果になりました。約3ヶ月後に少し急いで復帰を果たしましたが、失ったものは大きく、なかなか自分の思うようには動いてはくれませんでした。しかし、チーム第一という自身のプライドで、どうにかモチベージョンを落とさず継続して取り組むことができました。その後も代表入りを試みましたが、思うような結果は得られませんでした。
念願であった海外でのプレーと3度の手術
会社からの多大なるサポートとご理解をいただき、念願であった海外でのプレーを約4ヶ月という短い期間でしたが、オーストラリアのパースで実現しました。
初めての経験というのは、非常に大きく、プレーだけでなく人としても大きく成長することができました。違った角度で物事をみることができたり、先に繋がるさまざまな感覚を養うことができました。その感覚を持ちつつも、早く復帰した代償は消えることはなく、ヘルニアが再々発して2度目の手術をしました。
蓄積される一方で再度、症状のピークがきて、運悪くもその2ヶ月後に再再々発をし3度目の手術をしました。
2度目の手術のときは、「ホッケーをしたいからやる」ことで身体の真の声を無視というか聞こえないふりをして、自分のホッケーがしたいという欲望のままホッケーをしてきました。様々な考えが2度目の手術を決断したことから頭の中に巡り、自分自身が今から先に向けて、また、先に繋げる為に何をするべきかを自問自答を繰り返しました。
3度目の手術のときは、年齢のことを考えても引退するのか?と周りからは思われていましたが、私の中では違っていました。今回は「時間をかけて失ったものは元には戻らないが、今までの経験からしっかり自分の中のコンディションの基盤を作ろう」という風に捉えました。今は、どうあがいてもホッケーはできない為、まず自分自身がずっと内に秘めていた海外で経験を積むという答えにいたりました。私の考えている海外での経験というのは、選手としてだけでなく、現役引退した後にも繋げる具体的な学びの目的もありました。目的を実現するには、年齢や時期を考えても今しかないと考え、チームを離れ、海外に行く決断をしました。
手術前にチームや会社のありがたく温かいご理解をいただけた為、手術後約1ヶ月はリハビリもできなかったのですが、その間、海外にいく段取りを全て進めることができました。
【後編】“念願の海外でのプレーと持病との闘い / ドイツ (ハンブルグ)”に続きます。
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